物欲が抑えられず給料日前にお金が足りなくなる事もありカードローンを利用する事に
私は40代女性で富山に住んでいます 。
カードローンを利用するようになったきっかけについて
私のカードローン体験記を書きたいと思います。
私がカードローンを利用していたのは、就職してから結婚するまでの3年間ほどです。
こう書いてみると短いような気がしますが、自分にとっては長かったように思います。
就職した私は大人になったような気がしていたのかもしれません。
学生時代は自分で自由に使うお金が少なく、いつもお金が欲しいなと思っていました。
アルバイトをしてはいたのですが、長期間のアルバイトはなかなか出来ず、親からもらうお小遣いで欲しいものを買っていました。
自分の銀行口座というものも持っていませんでした。
しかし、人からお金を借りるという事はありませんでした。
お金は少ないなりに楽しく生活していました。
就職が決まり、給料の振込みのために銀行に口座を作る事になりました。
その時に一つのカードでカードローンも利用出来るというものを作りました。
最初からカードローンを利用しよう、と思った訳ではなくて銀行の方に進められて作りました。
カードローンを利用してみて
給料で車のローンも払っていたので、お小遣いが足りなくなる事もあったのですが、実家暮らしでしたので何とかやっていました。
最初は学生時代の延長という感じで生活していたのですが、しばらくしてブランドのバッグや洋服が欲しくなってきました。
その時に彼氏が出来たのも大きかったと思うのですが、色々な洋服が欲しくなってしまいました。
社会人になったという事もあって、少し良い洋服が欲しいと思った事も大きかったのかな、とも思います。
就職して恥ずかしい格好をしたくない、という事もありました。
給料日前にお金が足りなくなる事もあり、カードローンを利用する事になりました。
カードローンと言っても、自分のいつも使っている銀行のカードで簡単に利用出来るので、あまり抵抗はありませんでした。
銀行のカードローンという事で安心していました。
ローンなんて大げさに考えずに使っていように思います。
お金が口座に無くなったら、カードローンで引き出すという感じでした。
大変便利に使えるので、毎月のように使っていました。
若かったせいか、もともとの性格からか金利などは考えずに利用していました。
カードローンを利用したのを一つの経験として
今だったらよく考えてからカードローンを利用するのに、と大変悔しいですが若い時のそういった経験も大事かな、とも思います。
あれからカードローンは利用していませんが、今はカードローンも変わってきていると思います。
もし利用する事があったら、よく考えて比べて利用したいと思っています。
お金がないなら借りればよいという考えでわずか1年でカードが7枚になり借金も膨らんで・・・
私は三十台前半の東京の普通のサラリーマンです。
最近では消費者金融の利率も以前に比べて大幅に下がって来ていますが、私が一番頻繁に利用していた時には今ほど返済は楽ではなく、本当に苦労した記憶があります。
当時はまだ法律の改正前であり、利率も普通に25%以上などがざらでした。
しかし本当にお金が必要な時と言うのはそんなことに気を配っていられる状態ではなく、はっきり言って30%でも何も気にせず借りていたと思います。
私が消費者金融にお世話になり始めたきっかけ
さて私がそのような利率でお金を消費者金融に借り始めたきっかけは、非常に単純でした。
私は当時二十代後半で、通信系の技術職として経験を積み始めた頃でした。
私の会社では給料日に限らずみんなで飲みに行くことがよくあり、その日も普通に直属の上司などと飲みに行ったのです。
しかしその日は、私の気になる女性社員も一緒に来ていたのです。
飲み会が終わる頃に財布を確認してお金が足りないことに気付いた私は、どうしてもお金がないことを彼女に見せたくなかったため、とりあえず会計が終わるまでにお金を用意することを考えたのです。
そこで財布の中を見ると、かなり前に作っていて忘れていたクレジットカードが一枚あることに気付きました。
今までは全く使おうとも思わなかったのですが、その時は藁にもすがる思いで近くのコンビニまで行き、キャッシングで二万円か三万円を利用したのです。
飲み代は何の問題もなく支払うことが出来ましたが、私はこんなに簡単にお金が借りられるのかと本当に驚き、すっかり嵌ってしまったと言う訳です。
お金がなくても借りて使ってしまうようになった
それからの私はお金の使い方が少しずつ変わって行きました。
それまでは給料日まではどうにかやりくりをしようと節約して生活していましたが、お金がなくなったらまた借りればいいと言う考え方になっていったのです。
最初はカードも一枚で限度額もたった十万円ですが、それからわずか一年の間にカードは七枚になり、限度額の合計も二百二十万円に増えていました。
完済をする度に限度額増加のお知らせが届くので、本当に嬉しかったのを覚えています。
私自身はそんなに限度額があっても借りるわけがないだろうと思っていたのですが、買い物というものは欲しいものがどんどんと出てきて止まりません。
それまで節約して生きて来たせいもあったのかもしれませんが、今度は欲しくなったものは全て買うように性格が変わってしまったのです。
延滞を始めてから現在まで
しかしそんな額の借金が長く続くわけがありません。
限度額まで借りた時点で、月々の返済は六万五千円程度になっていたはずです。
私の給料が二十万くらいですから、もうほとんどギリギリのところでした。もうそれ以上借りられないと分かると、後はそれをどう返すかだけが問題となったわけです。
親にはもちろんそんなことは話せませんから、とにかくまずはカードの枚数を減らすことにしました。
幸い、そのうちの一社がまとめることに同意をしてくれたため、そこをまず一旦完済した後、増額をしてもらった枠で他を全て完済することに成功しました。
この時は本当にホッとしましたね。
そしてその一社の返済を始めて二年半くらいで完済し、今に至ると言うわけです。
給料は当時よりも増えて今はそこそこ安定した生活を送っていますが、その会社のキャッシングは今でも本当にたまにですが利用しています。
さすがに何十万円を借りると言う事はなくなりましたが、お金がない時には頼りになると言う点では、消費者金融も使い方を間違えなければ便利なものです。
今では利率も非常に下がって、以前よりずっと利用しやすくなっていますよね。
これから便利に使える人が本当に羨ましいですが、私もいい付き合いを続けて行こうと思っています。
借金はどこかできちんと区切りをつけないとどんどん膨らませてしまいます。
私は、40代のサラリーマンです。
最初に借金をしてしまったのは、アコムでした。
給料日にパチスロに行ってしまい、その後、絶対に必要なお金があったのにも関わらず、全て使ってしまったのです。
必要だったお金は8万円。
その時に、妻に謝って都合してもらえばよかったのですが、さすがに給料日にパチスロで全部使ったなんて、死んでも言えません。
アコムの無人契約機に行き、カードローンの申込をしました。借り入れの希望額が少なく、他社からの借り入れもなかったので、審査は凄くスムーズでした。
必要な書類も、免許証と、給与明細の3ヶ月分だけでした。
私は希望額を10万円にしたのですが、限度額は50万円まで借り入れできるので、もし、何かあったらと思い、50万円までの設定をして、10万円を借りました。
ここから、私の借金生活が始まるとは、このときは夢にも思いませんでした。アコムでの返済は月3000円と、簡単に返せる額です。
しかし、私はその後もパチスロに行ってしまい、結局限度額を全て使い切ってしまいました。50万円の限度額に達しても、支払いは月1万3000円くらい、まだ、小遣いの範囲で返すことができます。
支払いが厳しい場合は、利子分の7000円だけの返済だけでもいいので、その甘い考えが、どんどん借金を重ねる原因となったのでしょう。
アコムで、限度額が100万まであがり、気分的には楽になりましたが、2万円返済して5万円借りるような生活が続くようになり、やはり半年くらいで限度額に達してしまいました。
その次に、レイクでカードを作りました。
ここでも限度額は50万円までで設定されました。
最初のうちは、足りない分をレイクからかりて、あとはアコムの返済をしようと思っていたのですが、結局、パチスロ通いがやめられず、レイクでも限度額に達しました。
月々の支払いは、2社で4万円くらいになり、かなり厳しい状態になったので、東京スター銀行のおまとめローンを利用しました。
このおまとめローンのおかげで、レイクとアコムに全額返済し、月々の支払いは2万円弱になったのですが、このときに、レイクもアコムも解約しませんでした。
その後も借りることができ、おまとめローンのほかにもアコムとレイクで合わせて80万円の借金を作ってしまいました。
総額は230万円の借金です。
月の支払いは5万円以上、そして、レイクとアコムからは、新規の借り入れができなくなってしまいました。
総量規制にひっかかったようです。
もうどこからも借りることができなくなり、やっと自分の愚かさに気付き、ここから返済をがんばるようになりました。
最大で230万円に膨らんだ借金が150万円を切った時、月々の支払いは2万円に戻りました。
以前の150万円は、どんどん借金しての150万円。
今回の150万円は80万円返しての150万円なので、全く、私の状態は違います。
返し始めると、どんどん返していきたい気持が高くなってきて、150万円を切ってから1年足らずで全額返済しました。
借金は、どこかできちんと区切りをつけないと、私のように心が弱い人間はどんどん膨らませてしまいます。
本当に手軽で借りることができて便利ですが、その便利さを上手に使うためには、自分の理性をいかに保つかが大事になると思います。
借金をしてから返済するまでの長い道のり
40代、女性、兵庫県
大学生の時に始まった借金
私の母は離婚しており、義理の父と母の間に産まれた双子の弟と妹がいました。
7つ年下の兄弟と比べて、私は母の連れ子であるため、母は義父に気を使って私には厳しく接していました。
私はその地域で一番の進学校に通っていたのですが、両親ともに中卒ということもあり、大学に行きたいなら自分で稼いで行くようにと言われました。
最初は奨学金などの知識がなく、アルバイトをしても学費その他必要経費をまかなうのは大変でした。
学校に行くにも定期券を買うお金がないなどということも頻繁にありました。
そんな時助けてくれたのは同級生で、5000円くらいお金を借りることがよくありました。
大学に入って1年経ち奨学金や、学費減免制度などを知るようになって借金は少しましになりましたが苦しい大学生活でした。
社会人になって、そして転職
大学を出て良い会社に入り、バブルの後期ということもあり給料はよかったです。
しかし人間関係のトラブルから精神的な病気になり、せっかくの良い会社を1年でドロップアウトしてしまいました。
その当時は転職先はいくらでもありましたが、一度病んだ精神状態はなかなか治らず、転職につぐ転職でどんどん労働条件は悪くなっていきました。
そのうち仕事をすることに疲れ、転職の間の無職の期間が増えてまた借金をするようになりました。
友人に借りるのも限界があり、クレジットカードのキャッシングに手を出し限度額の50万円まで借りてしまいました。
フリーター生活と消費者金融
大学卒業以来コンピュータのプログラミングの仕事をしていましたが、神経を使う仕事で自信がなくなり普通のアルバイトをするようになっていきました。
そうなると余計に生活費が足りません。
親とは絶縁状態になっていました。
借りるあてもなくなってしまい、消費者金融から借りるようになりました。
そういう所から借りるのは怖いというイメージがありましたから1社からしか借りませんでした。
しかし元々お金に困って借りているので、元金を返すあてはないままに金利だけを払い続けることになりました。
結婚そして借金の精算
なんとか遅い結婚をし最初は言えませんでしたが、隠しておけることでもないので夫に消費者金融に50万円の借金があることを言いました。
夫のお父さんも一時家族に内緒で消費者金融から借金したことがあったそうで、夫にしたら「またか」という感じでしたが、少しずつ返す手助けをしてくれました。
おかげで結婚から1年くらいで借金から解放されました。
若い時から苦労したけれども結果的に助けてもらうことができて私は恵まれていたなと思います。
父の会社が倒産しひたすら働いて借金返済の日々
私は今兵庫県に住む、30代の女性です。
バラ色の学生生活になる予定だった
自分がこんなにも借金返済に苦しむとは思っていませんでした。
18歳で上京して、美大の予備校に4年も通ってやっと22歳で合格しました。
苦労が報われて、バラ色の学生生活が待っているとばかり思って、だいぶ浮足立っていました。
入学当初はほぼ初めて降り立つ駅がもの珍しく、駅の近くのデパートに学校帰りによく立ち寄り、たまに買い物したりしていました。
レジで店員さんに買い物に役立つカードを作りませんかと言われて、「学生証があるならすぐに出来ますよ。」の一言で、やっと学生証が持てた嬉しさがこみ上げてきて作りました。
そのカードは買い物の他にもキャッシングができました。
最初はそのつもりはなかったのですが、友人とグループ展をすることになり、場所代や話し合いをするのにお金が必要になり、まだアルバイトを始めていなく大した金額じゃないからすぐに返せるという気持ちで、キャッシングしました。
最初借りる時はドキドキしましたが、一度借りてしまえばあとは同じことなので、ちょこちょこ利用してしまいました。
限度額にすぐになってしまい、系列のキャッシング専用カードも作ってしまいました。こちらのカードは限度額も高く、すぐに利用しました。
2つのカード合わせて30~40万円くらい借りて、返済はリボ払いで1万円づつ毎月していました。
アルバイトを夏から始めて、順調に返済していました。
一気にどん底に
大学2年生の時に、父の会社が倒産しました。
大学の学費を出してもらえなくなり、奨学金を申請しました。
奨学金のお金だけでは足りないので、銀行の学費ローンも申込みました。
2つ合わせて800万円くらいの金額になりました。
奨学金は卒業してから返済が始まるのに対して、学費ローンは借りた翌月から返済が始まりました。
家賃も払っていたので、アルバイトのお給料だけでは足りない時もあり、奨学金から借金返済をする時がありました。
そのため、大学卒業間近の最後の学費を払うお金がなく、また家族に銀行のローンを申込み80万円借りました。
ひたすら働いて借金返済の日々
卒業したら毎月の返済が毎月5万円くらいになり、アルバイトのお給料のほとんどが家賃と借金で無くなりました。
それでも足りない時があり、卒業して2年目からもうひとつ夕方のアルバイトも始めました。
この辺りから、少しづつ貯金ができるようになりました。
家計簿をつけ始めたのが大きかったように思います。
毎日の買い物の内容と金額を書くと、ムダな使い方を見直せるため、だんだんお金を使わないようにと考えるようになりました。
お小遣いが大体月3万円と決めて、家賃と借金分をお給料が出るとすぐに銀行に入れて、残りも全て貯金するようにしました。
そして貯金がある程度貯まると、奨学金の繰り上げ返済をしました。
これが一番金利が高く、返済期間も25年と長いため、重荷になっていたからです。
他の借金は毎月決まった額を支払っていました。
最初に返済が終わったのは、キャッシングカード2つです。
金利が23%くらいだったので、約7年掛かりました。
銀行のローン2つと奨学金は、約11年で完済しました。
途中父の会社の倒産に伴う借金が終わったので、援助してもらいながらでしたが、30代前半までかかりました。
終わった時は、借金から開放されて嬉しく、2度としないと誓いました。
この11年で節約する術を身につけることができたのが、唯一良かったことです。
500万円にもなり勤め先や両親にまで迷惑をかけてしまった借金体験談
私が借金をするまで
私は高校卒業と同時に上京、警備会社に就職をしました。
当時は会社の景気も良かった事から、収入も毎月通常の高卒社会人の何倍もの収入があり、全く生活には困りませんでした。
今考えたらそれが最初の落とし穴だったかもしれません。
初めての借金
最初の借金は、車のローンでした。20を迎えた私は、相変わらず高収入を維持していましたが、それと比例して浪費癖もエスカレートしていきました。
仕事が終われば毎日のように飲み歩き、休みの日には毎日のように遊び歩いていました。
当時は貯金もありましたがその貯金にも手をつける有り様でもう経済感覚は麻痺していました。
周りがいい車を乗っていれば自分もそれが欲しいと言った有り様で、当時200万くらいの車を3年ローンで購入しました。それが初めての借金でした。
自分の経済感覚が結果の首を締める結果に
20歳を過ぎた私は、そこで転勤を命じられます。転勤の結果、収入は激減し、当時の私は車のローン以外にも2つくらいローンを組んでいて、毎月5万くらいの支払いがありました。
普通このくらいでもかなり大変なのですが当時はそう言った感覚は全くありませんでした。収入が減った事で当然生活は維持できなくなり、遂に消費者金融にも手を出してしまいました。
やがて23の頃には借金は500万にもおよび、毎月の支払いすらままならなくなりました。
借金を続けた結果とその後
借金が500万にもおよび、当時の収入は月に15万前後、毎月の支払いはも当然ままならなくなり、当初債務整理を行おうと弁護士に相談します。
弁護士費用も手元になかった事から、弁護士費用は分割で、毎月の支払いについては弁護士に頼んだ結果、減額にはなりましたがそれでも毎月の支払いがままならない状態となりました。
遂に弁護士にも愛想を尽かされ弁護士は辞任、再び借金に頭を抱える事となります。
勤め先にも取り立ての電話がかかってきた事もあり、それを気にかけた上司が遂に私の両親に連絡、事情を理解した両親は渋々ではありましたが、協力してくれる事となりました。
方法としては、両親とその上司から債権者に連絡、返済に必要な金額を両親が立て替えて支払うと言ったやり方が取られました。
結果、消費者金融、ローンやクレジット会社と言った債権者には借金は完済、それまで作ってきた私の借金約550万円を毎月5万ずつ返済する事となりました。
私の給料は当分両親が管理する事となりましたがそれでも確実に両親には借金を返済できた事は良かったと思います。
現在はその借金も完済、ローンを組む事にも支障はありませんが、特別大きな買い物でない限りは、現金払いを心がけています。
奢るなど男の見栄で安易にカードローンをしてしまい借金で生活苦に・・・
昔に借金をしました。
借金といっても、人から借りたわけではありません。
クレジットカードが最初です。
よく言いますが、最初はほんの軽い気持ち、と。
自分もそうでした。
5デイクレジットという5日間で返済するサービスを利用したのがきっかけです。
それまでは、金欠になると友人などから借りていました。
しかし、クレジットカードの場合はいちいち連絡をしなくても借りれます。
その手軽さが魅力に感じました。
最初に借りたのをきっかけに、ちょいちょい借りるようになりました。
そのうちに、カードローンも使えることが判明して、カードローンの仕組みも知らなかったのですが、10万円借りたとしても、月々の返済は1万円だということを知り、そっちの方がいいと思ったのです。
キャッシングの場合は一ヶ月で借りた金額すべてが引き落とされます。
つまり、5万円借りたならば、それに利息を上乗せされて返済しなければなりません。
一気に5万円超の返済が必要となるわけです。
しかし、カードローンの場合は、5万円借りても、返済は1万円で済みます。
この状況を当時は、“楽だ”と感じたのです。
今となって考えれば、そもそもこの感覚こそが甘かったのです。
以後、キャッシングはほとんど使わなくなりました。
カードローンで個人的な資金繰りをするようになりました。
おカネがきつくなれば、カードローン。
この行動が当たり前になっていったのです。
友達と飲みにいって、みんなが金欠だと言うと、自分が出すと言いました。
カードローンで借りて、人に奢る。こういうことを当たり前に繰り返すようになったのです。
当然ながら、限度額があります。
限度額は70万円でした。
こんな生活を続けていれば、いずれ限度額はやってきます。
限度額がやってきたときどうしたのか。
新たなカードを作って、カードローンで借り出すようになったのです。
それらを繰り返しました。
いずれ、返済がきつくなりだしました。
このままこの状況を続けていては、やばくなる、とはじめて複数のカードローンが限度額に近づいた時に悟りました。
遅すぎです。
しかし、返さなくてはならないので、生活をきりつめました。
一年間、缶ジュースも飲まない生活をやりました。
ちょっとずつ、返済をしていくうちに、一つのカードが完済し、また、一つのカードが完済。ということができるようになったのです。
ですが、まだまだ甘くありません。たくさん借りるということは、それだけ利息も払わなければなりませんから、簡単に完済はできません。
というわけで、現在も返済中です。
便利なのですが、しばらく使わないつもりなのです。