父の会社が倒産しひたすら働いて借金返済の日々
私は今兵庫県に住む、30代の女性です。
バラ色の学生生活になる予定だった
自分がこんなにも借金返済に苦しむとは思っていませんでした。
18歳で上京して、美大の予備校に4年も通ってやっと22歳で合格しました。
苦労が報われて、バラ色の学生生活が待っているとばかり思って、だいぶ浮足立っていました。
入学当初はほぼ初めて降り立つ駅がもの珍しく、駅の近くのデパートに学校帰りによく立ち寄り、たまに買い物したりしていました。
レジで店員さんに買い物に役立つカードを作りませんかと言われて、「学生証があるならすぐに出来ますよ。」の一言で、やっと学生証が持てた嬉しさがこみ上げてきて作りました。
そのカードは買い物の他にもキャッシングができました。
最初はそのつもりはなかったのですが、友人とグループ展をすることになり、場所代や話し合いをするのにお金が必要になり、まだアルバイトを始めていなく大した金額じゃないからすぐに返せるという気持ちで、キャッシングしました。
最初借りる時はドキドキしましたが、一度借りてしまえばあとは同じことなので、ちょこちょこ利用してしまいました。
限度額にすぐになってしまい、系列のキャッシング専用カードも作ってしまいました。こちらのカードは限度額も高く、すぐに利用しました。
2つのカード合わせて30~40万円くらい借りて、返済はリボ払いで1万円づつ毎月していました。
アルバイトを夏から始めて、順調に返済していました。
一気にどん底に
大学2年生の時に、父の会社が倒産しました。
大学の学費を出してもらえなくなり、奨学金を申請しました。
奨学金のお金だけでは足りないので、銀行の学費ローンも申込みました。
2つ合わせて800万円くらいの金額になりました。
奨学金は卒業してから返済が始まるのに対して、学費ローンは借りた翌月から返済が始まりました。
家賃も払っていたので、アルバイトのお給料だけでは足りない時もあり、奨学金から借金返済をする時がありました。
そのため、大学卒業間近の最後の学費を払うお金がなく、また家族に銀行のローンを申込み80万円借りました。
ひたすら働いて借金返済の日々
卒業したら毎月の返済が毎月5万円くらいになり、アルバイトのお給料のほとんどが家賃と借金で無くなりました。
それでも足りない時があり、卒業して2年目からもうひとつ夕方のアルバイトも始めました。
この辺りから、少しづつ貯金ができるようになりました。
家計簿をつけ始めたのが大きかったように思います。
毎日の買い物の内容と金額を書くと、ムダな使い方を見直せるため、だんだんお金を使わないようにと考えるようになりました。
お小遣いが大体月3万円と決めて、家賃と借金分をお給料が出るとすぐに銀行に入れて、残りも全て貯金するようにしました。
そして貯金がある程度貯まると、奨学金の繰り上げ返済をしました。
これが一番金利が高く、返済期間も25年と長いため、重荷になっていたからです。
他の借金は毎月決まった額を支払っていました。
最初に返済が終わったのは、キャッシングカード2つです。
金利が23%くらいだったので、約7年掛かりました。
銀行のローン2つと奨学金は、約11年で完済しました。
途中父の会社の倒産に伴う借金が終わったので、援助してもらいながらでしたが、30代前半までかかりました。
終わった時は、借金から開放されて嬉しく、2度としないと誓いました。
この11年で節約する術を身につけることができたのが、唯一良かったことです。
500万円にもなり勤め先や両親にまで迷惑をかけてしまった借金体験談
私が借金をするまで
私は高校卒業と同時に上京、警備会社に就職をしました。
当時は会社の景気も良かった事から、収入も毎月通常の高卒社会人の何倍もの収入があり、全く生活には困りませんでした。
今考えたらそれが最初の落とし穴だったかもしれません。
初めての借金
最初の借金は、車のローンでした。20を迎えた私は、相変わらず高収入を維持していましたが、それと比例して浪費癖もエスカレートしていきました。
仕事が終われば毎日のように飲み歩き、休みの日には毎日のように遊び歩いていました。
当時は貯金もありましたがその貯金にも手をつける有り様でもう経済感覚は麻痺していました。
周りがいい車を乗っていれば自分もそれが欲しいと言った有り様で、当時200万くらいの車を3年ローンで購入しました。それが初めての借金でした。
自分の経済感覚が結果の首を締める結果に
20歳を過ぎた私は、そこで転勤を命じられます。転勤の結果、収入は激減し、当時の私は車のローン以外にも2つくらいローンを組んでいて、毎月5万くらいの支払いがありました。
普通このくらいでもかなり大変なのですが当時はそう言った感覚は全くありませんでした。収入が減った事で当然生活は維持できなくなり、遂に消費者金融にも手を出してしまいました。
やがて23の頃には借金は500万にもおよび、毎月の支払いすらままならなくなりました。
借金を続けた結果とその後
借金が500万にもおよび、当時の収入は月に15万前後、毎月の支払いはも当然ままならなくなり、当初債務整理を行おうと弁護士に相談します。
弁護士費用も手元になかった事から、弁護士費用は分割で、毎月の支払いについては弁護士に頼んだ結果、減額にはなりましたがそれでも毎月の支払いがままならない状態となりました。
遂に弁護士にも愛想を尽かされ弁護士は辞任、再び借金に頭を抱える事となります。
勤め先にも取り立ての電話がかかってきた事もあり、それを気にかけた上司が遂に私の両親に連絡、事情を理解した両親は渋々ではありましたが、協力してくれる事となりました。
方法としては、両親とその上司から債権者に連絡、返済に必要な金額を両親が立て替えて支払うと言ったやり方が取られました。
結果、消費者金融、ローンやクレジット会社と言った債権者には借金は完済、それまで作ってきた私の借金約550万円を毎月5万ずつ返済する事となりました。
私の給料は当分両親が管理する事となりましたがそれでも確実に両親には借金を返済できた事は良かったと思います。
現在はその借金も完済、ローンを組む事にも支障はありませんが、特別大きな買い物でない限りは、現金払いを心がけています。
奢るなど男の見栄で安易にカードローンをしてしまい借金で生活苦に・・・
昔に借金をしました。
借金といっても、人から借りたわけではありません。
クレジットカードが最初です。
よく言いますが、最初はほんの軽い気持ち、と。
自分もそうでした。
5デイクレジットという5日間で返済するサービスを利用したのがきっかけです。
それまでは、金欠になると友人などから借りていました。
しかし、クレジットカードの場合はいちいち連絡をしなくても借りれます。
その手軽さが魅力に感じました。
最初に借りたのをきっかけに、ちょいちょい借りるようになりました。
そのうちに、カードローンも使えることが判明して、カードローンの仕組みも知らなかったのですが、10万円借りたとしても、月々の返済は1万円だということを知り、そっちの方がいいと思ったのです。
キャッシングの場合は一ヶ月で借りた金額すべてが引き落とされます。
つまり、5万円借りたならば、それに利息を上乗せされて返済しなければなりません。
一気に5万円超の返済が必要となるわけです。
しかし、カードローンの場合は、5万円借りても、返済は1万円で済みます。
この状況を当時は、“楽だ”と感じたのです。
今となって考えれば、そもそもこの感覚こそが甘かったのです。
以後、キャッシングはほとんど使わなくなりました。
カードローンで個人的な資金繰りをするようになりました。
おカネがきつくなれば、カードローン。
この行動が当たり前になっていったのです。
友達と飲みにいって、みんなが金欠だと言うと、自分が出すと言いました。
カードローンで借りて、人に奢る。こういうことを当たり前に繰り返すようになったのです。
当然ながら、限度額があります。
限度額は70万円でした。
こんな生活を続けていれば、いずれ限度額はやってきます。
限度額がやってきたときどうしたのか。
新たなカードを作って、カードローンで借り出すようになったのです。
それらを繰り返しました。
いずれ、返済がきつくなりだしました。
このままこの状況を続けていては、やばくなる、とはじめて複数のカードローンが限度額に近づいた時に悟りました。
遅すぎです。
しかし、返さなくてはならないので、生活をきりつめました。
一年間、缶ジュースも飲まない生活をやりました。
ちょっとずつ、返済をしていくうちに、一つのカードが完済し、また、一つのカードが完済。ということができるようになったのです。
ですが、まだまだ甘くありません。たくさん借りるということは、それだけ利息も払わなければなりませんから、簡単に完済はできません。
というわけで、現在も返済中です。
便利なのですが、しばらく使わないつもりなのです。